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高岡市の国宝「瑞龍寺」家紋の謎(H24年9月29日)

瑞龍寺の総門昨日は仕事で高岡に行ってきた。物件の調査のためであるが、その後時間もあったので、まだ見たことのなかった「瑞龍寺」に足を伸ばしてみた。
瑞龍寺といえば、加賀藩3代藩主、前田利常が自分に藩主の座を譲ってくれたことに感謝に、2代藩主、利長の菩提を弔うために、利長が隠居した高岡に建立したお寺であり、現在国宝に指定されている。

建築を指揮したのはしたのは加賀藩のお抱え大工頭、名匠山上善右衛門嘉広である。ちなみにこの「善右衛門」名は代々受け継がれ、羽咋の妙成寺、同じく氣多大社、小松の那谷寺なども一族の手による仕事である。
瑞龍寺の梅鉢紋この瑞龍寺で面白いものを見つけた。前田家の家紋「梅鉢紋」が真ん中にあしらわれた釘隠しである。しかしこの釘隠し。「梅鉢紋」だけなら、さして疑問にも思わないのだが、問題はその周りにある「桐紋」である。
「桐紋」と前田家の関係は初代藩主利家が豊臣秀吉から贈られた紋であるという説があり、ただしかし前田家は菅原道真の末裔にあたる家系ということもあり、菅原家の家紋である「梅鉢紋」を使用し、「桐紋」はほとんど使用しなかったということだ。
また利常の妻は2代将軍秀忠の娘、珠姫であり徳川家との関係は非常に深い。さらに大阪の陣で瑞龍寺の回廊は、利常自ら豊臣方と激戦を繰り広げてもおり、とても豊臣家から譲られた家紋を使うとは思えない。とすると一体この「桐紋」は・・?結局、疑問はそこに行き着くのだが・・?
そこで私なりに調べてみた。「桐紋」には幾種類かあって、その中でも有名なのが「五三桐(ごさんのきり)」と「五七桐(ごしちのきり)」である。豊臣が使用したのはこのうちでも「五七桐」の方であり、秀吉が愛用したのはそれをアレンジしたものであるらしい。
それとは別に「五三桐」の方は、足利尊氏が皇室から賜って以降、時の権力者が使った家紋であるということだ。そして徳川家の家紋はご存じ「葵紋」であるが、家康も瑞龍寺の山門晩年以降に、「五三桐」を副紋としては使っていたようだ。
ということは、これは私なりの推測であるが、利常は瑞龍寺建立に際し、この釘隠しに時の権力者である徳川家に守られて、前田家が繁栄するようにとの願いを込めたのではないだろうか?そう考えれば、この釘隠しの意匠もうなずけるのである。
ちなみに今回の話「桐紋」は日本国も使う紋であり、首相が会見の際、演台にあしらわれているのもこの「桐紋」である。そして面白いことに、日本国でも各省庁によって「五三桐」を使ったり、「五七桐」使ったりとバラバラで、統一されていないようなのである。